2016年4月13日水曜日

My Recommendations No.72「アインシュタインからの墓碑銘」

本学医学部臨床教授で美波病院院長,本田壮一先生が下記図書をご推薦下さいました。
本田先生,いつもありがとうございます。

『アインシュタインからの墓碑銘』
(比企寿美子著 / 出窓社)

早速,お寄せくださいました書評をご紹介します。

本学工学部卒業の中村修二教授(カリフォルニア大学)が、青色LEDの開発で、ノーベル物理学賞を受賞した(2014年)のは、記憶に新しい。相対性理論(E=mc2)のAlbert Einstein18791955、ドイツ生まれ)も、1922年に同賞を受賞している。アインシュタインの日本人の知己が、本書の主人公:徳島県西部、美馬市生まれの三宅速(はやり)医師である。

三宅速(18671945)は、九州大学の初代外科教授。1922年ヨーロッパからの帰りの船中で、アインシュタインの腹痛を診察する機会があり、その縁で友人となった。残念ながら、三宅夫妻は、第二次世界大戦の空襲(岡山市)で亡くなった。アインシュタインは、三宅夫妻の死を悼み、追悼文を送り、その自筆の文の石碑が、美馬市穴吹に建立されている1。著者の比企さんは、速のお孫さんで、祖父母の物語をまとめられた。

徳島大学病院長の永廣信治教授(脳神経外科)のエッセイ2)によると、三宅速は、日本で最初の脳腫瘍の手術を行ったとのことである(1905年)。速の長男が三宅博(著者の寿美子さんの父)2)。やはり外科医となり、九州大学の第4代の教授になった。永廣先生の恩師(故 松角康彦教授、熊本大学)は、博先生の門下生。また故 田北周平教授(徳島大学旧第一外科)も門下生とのこと。三宅博も、美馬市の速と同じお寺に墓が建立されている。

森博愛先生(旧第二内科の名誉教授)は、美馬市脇町の生まれで、九州大学卒。三宅博先生による卒業試験を受けたとのこと。そのエッセイ3)から、本書に出てくる医学生の螺良英郎(つぶらえいろう、博先生の奥様の甥、昨年1月に物故)が、後の徳島大学第三内科教授であったことを知った。私は、本学1983年卒の内科医(2月に亡くなられた斎藤史郎元学長の旧第一内科の出身)であるが、学生時代、内科学の指導を受けたお二人が、三宅速・博父子ゆかりの教授であることに驚いている(当時の内科学教室は三つであった)。

速・アインシュタインはピアノ演奏を好み、ドイツからとりよせたピアノの運命も興味深い4)。 “戦争と平和”を再考し、医学の系譜を考える好著で、徳島大学の学生、関係者に一読を勧める(20163月に再訪した。写真を2葉示す)。



参考
1)三宅博:はるかなる友情―アインシュタイン博士と父と.CLINICIAN.No.357,p99-101,1987
2)永廣信治:日本で最初に脳腫瘍手術に成功した外科医、三宅速. Jpn.J.Neurosurg.24 (3), p189-191, 2015
3)森博愛:アインシュタインからの墓碑銘.徳島大学医学部第二内科同門会誌.33,p69 -71.201512
 4)本田壮一:70年前のドラマ~ピアノとヴァイオリン~.徳島県医師会報.No531,pp5252, 20158

本田先生ご本人の撮影による写真もお送りいただいております。

右手前が三宅速先生(ご夫妻)のお墓,左奥が博先生(ご夫妻)のお墓です

お墓のある光泉寺(美馬市穴吹町)

『アインシュタインからの墓碑銘』は本日より蔵本分館1階ホール,テーマ展示コーナーに展示中です。ぜひご覧になってくださいね。
みなさんのご利用,お待ちしております!


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